会員の地理活動
ネット公開
1 東日本大震災での高速交通機関の補完関係と復興期における動向
2 公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり
3 海外地理紀行
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YouTube公開
公益社団法人日本地理学会地理学のアウトリーチ研究グループYouTube動画ブロジェクトチームによる中高生むけ地理学紹介動画プロジェクトとして公開されました。
「【仕事で地理が生きる】公務員の仕事にも生きる地理のライフワーク」
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本の出版
1「自然災害と大移住」(幻冬社ルネッサンス新書)
2「地理マニアが教える旅とまち歩きの楽しみ方」(ベレ出版)
3「みちびと紀行 街道を歩く一人旅」(Amazon)
4 「新版 空の旅の自然学」(古今書院)
5 「純じゃぱのえいご道中膝栗毛」(文芸社)
(出版元をクリックすると紹介ページにリンクします。)
活動予定
地理の好きな人々のための巡検及び講演会(外部及びメンバーによる)を開催しています。各行事はメンバー同士のネットワークを広げられる場としても喜ばれています。
2025年
4月20日(日)地理の会巡検23区シリーズ第20回「世田谷区その1」開催済
6月8日(日) 桐生市巡検 開催済
8月9日(土) オンライン交流会「サロン地理」開催済
10月25日(土) ジオ巡検②「神奈川・曽我丘陵にてジオ歩き!」開催済
12月21日(日) 地理の会巡検23区シリーズ第21回「板橋区」
2026年2月28日(土) 「地理系ブックカフェ空想地図の夕べ〜地理教育の現場から〜」
2026年5〜6月 地理の会巡検23区シリーズ「世田谷区その2」
地理の会 ジオ巡検②
『相模・曽我丘陵〜地球の胎動を聴く雨のジオ歩き』
テーマ
ジオ歩き2回目は、相模の曽我丘陵の国府津ー松田断層を訪れ、地殻変動の歴史を学びました。箱根火山の影響や、地殻変動と火山活動、河川侵食の視点から地形・地質を考察しました。
1.日時 2025年10月25日(日)10:35-15:02
2.講師 箱根ジオパーク推進室事務局次長 笠間講師(日本地質学会理事)
参加者 8名
3.巡検行程
約9.1kmの歩行、約4時間27分の移動時間、約185mの高低差(最高標高218m、最低標高33m)
① スタート:JR御殿場線 上大井駅
②菊川支流沿い(所々に小露頭)
③山田盆地入口・地塁地溝地形
④メガソーラー保存露頭・箱根火山火砕流堆積物
⑤四季の里(昼食・足柄山地・富士山等の地形)
⑥獅子窪湧水
⑦了義寺
⑧めがね道経由、国府津・松田断層地形観察
⑨ゴール:JR御殿場線 相模金子駅
4.行程地図
上記の巡検行程をアプリ「スーパー地形」を用いて
① 地理院の現在地図
② 地形図
③ 断面図
(マウスを地図に合わせると、「地図左右中央をクリックで地図を変更できます」「地図中央でコメントを確認できます」さらにクリックすると「地図を拡大できます」)
5. 巡検写真(写真は、10秒毎の自動再生)
6.参加者の感想
・とても勉強になりましたし楽しかったです。山でよく崖など見ますが、立ち止まって観察して、教えて頂くと、ぜんぜん違うなと思いました。資料を見返して思い出しています。
・ややハードなコースでしたが、脱落することなく最後まで楽しく回ることができました。以下、感想です。事前に資料を一読していましたので、各所での講師の説明が理解しやすかったです。参加者からのさまざまな質問への回答が、実に深く広く分かりやすい内容でした。
・当日の説明もすばらしく、充実した巡検になりました。雨は残念でしたが、静かで落ち着いたジオウォークになりました。箱根東京テフラの保存露頭など立派なものと思いますが、箱根ジオパークのジオサイトに指定されていないのが不思議です。
・地質にはまったく素人の私にも、とてもわかりやすく説明していただき、良かったです。貴重な露頭の数々、何十万年も遡ってのお話し、素朴にイメージを楽しみました。学者の先生によくありがちな「この露頭を残さねばならない!」との気負いはなく、変動していく自然に素直に応じられてる好印象を受けました。
・曽我丘陵ジオ歩き、雨天で眺望を楽しむことができなかったのは残念でしたが、実行していただいたことに感謝申し上げます。地溝・地塁の地形と意識して、盆地地形を見るのは初めてでした。「きらめきの丘おおい」の箱根東京テフラの地層の傾きや火山噴火のジェットによる噴煙の到達高度など、教えていただいたことを自分なりに調べて整理していきたいと思っております。
・地形、地質の歴史的経過など、不勉強ですが 、大変関心があります。お話の内容は難しかったですが、プレートの動き、断層、火山活動など、地域別、時代別にどのような動きがあったのか、今後とも関心を持ち続けていきたいと思う大きなきっかけとなった御案内でした。保存断層や湧水なども大変魅力的かつ貴重なものと思いました。目に見える風景もこうした知識があると違って見えるものではないかと羨ましくも思います。
オンライン交流会「サロン地理」
1. 日時:2025年8月9日(土)18:00〜20:00
2. 開催方法:Zoomミーテイングを使用したオンライン
3. 出席者:25名
4. 内容:
気兼ねなく自由で身近な地理の話題をサロン風に語りあうオンライン会合を行いました。
(スライド:手動でスライドを送るか⚪︎をクリックして閲覧してください。また、画像をクリックすると画像を拡大または動画再生します。
ハイライト:文字のハイライト部をクリックするとリンク先を表示します。)
1 地方会員からの地理の話題
1-1「哈爾濱(ハルビン)とシベリア鉄道」
今年の6月に中華人民共和国の旧満洲地方に旅行したのですが、それに関連してお話しいたします。
1-2「 仙台赴任 地理の思い出」
私の仙台の赴任時の地理の思い出ということでお話しいたします。
テーマ1:この地名読めますか?かけますか?私が仙台に赴任遭遇した地名
こういう形で読めない地名に遭遇しました。
テーマ2:JR気仙沼線BRTの写真と動画
仙台は、まだまだ行けていないところがありましたが、ほんとにいいところですので是非足を運んでください。
ご精聽ありがとうございました!
1-3「私の地理修行 ー 「ご縁」に支えられて」
「地理というご縁に支えられて」ということでお話しさせていただきたいと思います。
(1)月刊「地理」との出会い
現在も、購読会員ですが、月刊「地理」の「ジオグラファーズ・アイ」(投稿欄)で作文練習目的に投稿したのが、最初の地理との出会いでした。
(2)福井県地理学会との出会い
福井県に帰省しまして、図書館に就職しました。月刊「地理」への投稿が切掛になって、当時の図書館館長の紹介と福井県内教員の図書館訪問による入会斡旋で、福井県地理学会に入会しました。現在は、「北陸三県地学・地理学連合大会」に参加及び紀要執筆を行っています。
(3)社会人の地理クラブ「地理の会」との出会い・会報
出会いというものは、突然なのですが、本会の「地理の会」の会長と職場の図書館でお会いしてお話をしまして入会しました。会報執筆ほか巡検・例会に参加しました。しかし、会報の最終号は、書くことができなかったのが心残りです。日本地理学会「地理学のアウトリサーチ」動画作成依頼を「地理の会」の会員の方から紹介を受けて作成しました。(地理の会HPの会員活動のYouTube公開を参照)最近は自己紹介代わりに使っています。「地理学は楽しいのだよ」っていうことを中高生向けで、また、丁度、コロナ禍の時で「勉強の楽しさというのを教えてください」ということで動画を作った次第です。
(4)福井市木田公民館(在住地区)での活動
現在、私住んでいる春日は福井市南部の木田という小学校区・公民館地区に該当します。木田公民館の館長が、以前の上司で、公民館に行くと、仕事を仰せつかって、結局、交流部会での地区の歴史遺産紹介(フィールドワーク形式・PTA親子のつどい)などを行なっています。さらに、広報部会の全戸配布『きだより』の「木田の昔ばなし」執筆(年2回)も行なっています。
木田の昔ばなしの紹介として(おいしい福井の水の産地 木田地区の水道源井)を説明しました。
また、『木田地区誌』編纂を只今、構想中です。(「地理編」を頼まれています。)
以上が、私の現在でございます。また今後も末長く、どこまで地理の活動ができるか分かりませんけど、よろしくお願いいたします。
2 コーヒー・ブレーク
2024年地理の会活動クイズ
3 自由で身近な地理の話題
1-1「利根川東遷について」
かつて利根川は東京(江戸)湾に流れていましたが、現在では東に向きを変え鹿島灘(銚子)に河口を移しています。東に付け替えたので「東遷」と言われていますが、「そもそも誰かが意図して始めたことだったのだろうか?」疑問に思いましたので調べてみました。利根川東遷の経緯については数多くの著書、論文が発表されていて、それらから知見を一つ得たので報告します。
以上、まとめると
利根川東遷は徳川幕府により1594年から60年かけて行われたとの説が有力だが(現国土交通省も採用)、異説があることが紹介された。その異説とは、「東遷」を決定づけたのは明治政府による工事(1893年にかけての江戸川棒出しの強化)で、理由は足尾銅山からの汚染水が東京府に流れるのを恐れたためである。公言がはばかられたので、徳川幕府説を創作した。(参考文献:東京農業大学 小出博教授「利根川と淀川」1975年1月中公新書、他)私も、当初から一貫した目的・計画のもとに行われたものではなく、その時代の社会状況または技術水準に従い、試行錯誤しながら進められ、「結果的に現在の水路となったと考えている」とする説に従いたいと思っております。
1-2「シルクロードの旅、トルコ・ギリシャ・北マケドニア・アルバニア編(バルカン紀行報告)」
シルクロードをたどる旅のトルコ、ギリシャ、北マケドニア、アルバニア編ということでお話しします。
以上で終わります。ありがとうございました。
4 2025年活動報告と予定
5 質疑応答・雑談タイム
桐生市巡検
1.日程 2025年6月8日(日)11:00
2.テーマ 織物の街『織都「桐生」』の成り立ちと現在~ノスタルジックな街並みを巡る
3.コース
① 東武新桐生駅またはJR桐生駅から「観光情報センター(シルクル)」へ。11:00集合
② 観光情報センター(シルクル)11:00発(現地ガイドにより重伝建・新町地区等巡検)~桐生天満宮12:30頃到着
③ 桐生天満宮近くの「世辻の斎嘉」(旧織物工場の母屋)2階にて昼食
④ 昼食後、地理の会からの説明と、店主からの説明
⑤ 解散(電動コミュニティバス「MAYU」で市内移動又はコミュニティバスで桐生駅・新桐生駅等へ)
⑥ 上記以降は個人巡検(後半は各自でテーマを見つけて歩いてください)
a)繊維産業を学ぶ → 織物参考館、桐生織物記念館などを徒歩巡検
b)建築物を学ぶ → 桐生倶楽部、上毛電鉄西桐生駅、群馬大学同窓記念会館など
c)美術を楽しむ → 大川美術館(松本俊介のコレクションで有名な美術館)
d)伊勢崎に行く → 伊勢崎市に足を延ばし自主巡検
(JR両毛線で伊勢崎駅:いせさき明治館・相川考古館など市街地巡検、または境町の繭取引、町家、宿場遺構歩き)
e)ローカル鉄道を楽しむ → 西桐生駅から上毛電鉄で前橋方面へ、桐生駅からわたらせ渓谷鉄道で足尾方面へ
4. 巡検写真(写真は、10秒毎の自動再生です。)
5.桐生市のプロフィール
・奈良時代から始まったと言われる桐生の絹織物は、江戸時代以降「西の西陣、東の桐生」と称され、その一大産地として発展しました。
・今回巡る「新町地区」は、慶長年間(1600年代初頭)に周辺農村からの移住者を募って形成された人工都市で、市の中心街となっていました。
最盛時900を越えた織物産業の事業者数(組合登録事業者数)も今は100を切っていますが、街のそこかしこに長い繁栄を伝える工場や蔵、事務所などの建築物が残っており、近代化遺産の宝庫として、今では観光スポットとなっています。とりわけ、「新町地区」には、織物工場、織物問屋、商店、銭湯、醸造所など多くの有形文化財が残っています。
・桐生市の人口は減少傾向にあり、昨年10万人を割り、群馬県内では5番目ですが、高崎、前橋に次ぐ都市の位置づけにある太田(3位・22万人)、伊勢崎(4位・21万人)との差が開いています。
輸送用産業や機械・金属産業を中心にした順調な産業立地によって発展した両市に対して、桐生は歴史文化遺産を核とした観光を軸とした街づくりをめざして進んでいるように思われます。
・足尾山塊の山々に囲まれ、平野への出口に当たる桐生は渡良瀬川と桐生川が流れる水と緑に恵まれた渓口集落(谷口集落)であり、地理的関心の高まる街です。東武鉄道(新桐生駅)、JR両毛線・わたらせ渓谷鉄道(桐生駅)、上毛電鉄(西桐生駅)と様々な鉄道が交差する街でもあります。
*桐生巡検補足説明*(クリックすると資料が見れます。)
地理の会巡検23区シリーズ第20回「世田谷区その1」
テーマ
「近郊農村から住宅市街地へー土地利用の変遷と現況」
世田谷区の地域は、江戸時代には近郊農村地帯でしたが、今日では人口94万人を超える(2025年都推計)住宅都市に発展しています。今回の巡検では、戦国時代末期まで存在していた城阯、江戸時代の代官屋敷跡や大山道など古道の歴史遺構、昭和に開かれた馬事公苑・東京農業大学キャンパス、かつて農業用水として利用され現在では暗渠化され緑道・一般道として整備された烏山川と品川用水跡地、関東大震災後に移転してきた烏山寺院通りを訪れました。区のほぼ中央部である世田谷地区から北部の烏山地区までを辿ったことになります。
1. 日時 2025年4月20日(日)13:10-17:35
2. 参加者 11名
3. 巡検行程(🚶:歩き、🚃:電車、🚌バス)
3-1 全行程
巡検行程は、アプリ「スーパー地形」を用いて作成しています。
マウスを地図中央に合わせて 「コメントを確認できます。」
マウスを地図上でクリックすると「地図を拡大できます。」
地図左右をクリックで「地図を変更できます。」
3-2 各行程
1)大山道(旧道)沿道歴史遺構エリア
① スタート:東急世田谷線三軒茶屋駅前(13:10)
📷 東急世田谷線三軒茶屋駅前(クリックすると写真が見れます。)
② 🚃東急世田谷線三軒茶屋駅乗車(13:12)
前身の玉川電気鉄道が、1925年(大正14年)、三軒茶屋〜下高井戸を開通。(今年、開通100周年)
路面電車であるが、ほぼ全区間が専用軌道。ただし環状7号線との交差点では道路信号に従う。
③ 🚃東急世田谷線上町駅下車
📷 東急世田谷線上町駅下車(クリックすると写真が見れます。)
④ 🚶烏山川緑道
源流の一つは、北烏山にある高源院の弁財天の池で、玉川上水からの通水も存在していた。この下流、池尻付近で北沢川用水(地表は緑道化)と合流し国道246号をくぐると目黒川(開渠)となる。
📷 烏山川緑道(クリックすると写真が見れます。)
⑤ 🚶世田谷城阯公園
世田谷城は、吉良氏によって築かれた。戦国時代、豊臣秀吉の小田原征伐により接収され廃城となった。土塁が残るのみであり、区立公園となっている。
📷 世田谷城阯公園(クリックすると写真が見れます。)
⑥ 🚶ボロ市通り(旧大山街道の一部)
市は北条氏の時代に「楽市」として開かれたが、明治になって古着やボロ布の扱いが主流となっていき、「ボロ市」と呼ばれるようになった。現在は12月と1月に開催され骨董品なども並ぶ。
⑦ 🚶世田谷代官屋敷(母屋と表門は国重要文化財)
📷 世田谷代官屋敷(クリックすると写真が見れます。)
18世紀半ば近く、世田谷村名主の大場家第7代当主盛政によって建てられ、同氏が彦根藩世田谷領代官に登用されると私邸かつ公務を行う場となり、大場代官屋敷とも呼ばれる。母屋と表門は江戸時代中期の代表的な大型民家の姿を残し、代官にふさわしい格式をもった建造物である。
⑧ 🚶世田谷区郷土資料館
1964年(昭和39年)開館。歴史的遺物や資料が収集展示され、古地図などの販売も行われている。
⑨ 🚌東急バス(渋22/23/24)桜小学校乗車(14:15)
2) 公苑/大学キャンパス・用水跡エリア
⑩ 🚌東急バス農大前下車
⑪ 🚶品川用水跡(北見橋跡)
📷 北見橋跡石碑(クリックすると写真が見れます。)
玉川上水から取水され、現在の品川区地域などに農業用水を供給していた。昭和20年代後半に埋め立てられ、その後、現在の千歳通りが整備された。馬事公苑の東縁も用水跡である。
⑫ 🚶馬事公苑
📷 馬事公苑(クリックすると写真が見れます。)
1940年(昭和15年)、騎手養成・馬事普及・馬術振興のために開苑した。東京オリンピックの馬術競技場となる予定であったが大会が中止され、その後、1964年、2020年(翌年に延期)大会では競技会場となった。競技場や厩舎のほか、芝生の広場や雑木林もあり散策できる。
⑬ 🚶東京農業大学
📷 東京農業大学キャンパス(クリックすると写真が見れます。)
1891年(明治24年)創設。旧陸軍自動車学校の跡地である世田谷キャンパスには1946年(昭和21年)に青山から移転してきた。➡「国際センター」があり巡検一行はここで休憩をとった。
⑭ 🚶横根の庚申塔道標
📷 庚申塔道標(クリックすると写真が見れます。)
江戸と多摩地方を結ぶ旧道「六郷田無道」に立つ。正面に府中道、南側面には大山街道へ、北側面には四ツ谷道への案内文字が刻まれている。数百メートル北側に並行する道路があり、近くで分岐・合流する。旧東京府道「駒沢吉祥寺線」の一部と考えられる。
⑮ 🚶経堂農大通り商店街・経堂在家村庚申塔道標
📷 経堂村庚申塔道標(クリックすると写真が見れます。)
商店街の南端で再び烏山川(緑道)を渡る。庚申塔は農大通りと古道(滝坂道?)との交差点に立つ。東方向は「青山」、西方向は「府中」、正面の南方向は「二子」(多摩川の渡し箇所)を示す。上記の写真📷を参照。
⑯ 🚃小田急線経堂駅乗車(15:33)
⑰ 🚃小田急線千歳船橋駅下車
📷 森繁通り(クリックすると写真が見れます。)
⑱ 🚌京王バス(歳23)千歳船橋駅乗車(15:50)
3) 関東大震災後の寺院移転エリア
⑲ 🚌京王バス千歳烏山駅下車
⑳ 🚌関東バス(烏01)千歳烏山駅乗車(16:24)
📷 旧甲州街道(クリックすると写真が見れます。)
㉑ 🚌関東バス寺院通四番下車
㉒ 🚶烏山寺院通り(高源院)
📷 高源院・高源院(池)・烏山寺院通り(クリックすると写真が見れます。)
北烏山2丁目から6丁目にかけて、関東大震災(1923年・大正12年)の後、東京市の都市計画により東部(上野・浅草方面)から移転してきた26の寺院が立ち並ぶ。高源院の庭園にある池は湧水で烏山川の水源の一つと言われている。
㉓ 🚶玉川上水分水口跡 ⇒ (所在地:杉並区久我山)
📷 玉川上水・玉川上水分水口跡(クリックすると写真が見れます。)
玉川上水岩崎橋に烏山村分水・上北沢村分水の取水口があった。遺構は残るが判別し難い。
㉔ 🚌関東バス(烏01)久我山病院乗車(17:28)
㉕ ゴール:🚌関東バス千歳烏山駅下車(17:35)