会員の地理活動
ネット公開
1 東日本大震災での高速交通機関の補完関係と復興期における動向
2 公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり
3 海外地理紀行
(項目をクリックするとリンクします。)
YouTube公開
公益社団法人日本地理学会地理学のアウトリーチ研究グループYouTube動画ブロジェクトチームによる中高生むけ地理学紹介動画プロジェクトとして公開されました。
「【仕事で地理が生きる】公務員の仕事にも生きる地理のライフワーク」
(クリックするとリンクします。)
本の出版
1「自然災害と大移住」(幻冬社ルネッサンス新書)
2「地理マニアが教える旅とまち歩きの楽しみ方」(ベレ出版)
3「みちびと紀行 街道を歩く一人旅」(Amazon)
4 「新版 空の旅の自然学」(古今書院)
5 「純じゃぱのえいご道中膝栗毛」(文芸社)
(出版元をクリックすると紹介ページにリンクします。)
活動予定
地理の好きな人々のための巡検及び講演会(外部及びメンバーによる)を開催しています。各行事はメンバー同士のネットワークを広げられる場としても喜ばれています。
2025年
4月20日(日)地理の会巡検23区シリーズ第20回「世田谷区その1」開催済
6月8日(日) 桐生市巡検 開催済
8月9日(土) オンライン交流会「サロン地理」開催済
10月25日(土) ジオ巡検②「神奈川・曽我丘陵にてジオ歩き!」開催済
12月21日(日) 地理の会巡検23区シリーズ第21回「板橋区」開催済
2026年2月28日(土) 「地理系ブックカフェ空想地図の夕べ〜地理教育の現場から〜」
2026年5〜6月 地理の会巡検23区シリーズ「世田谷区その2」
地理の会巡検23区シリーズ第21回「板橋区」
テーマ
「板橋区の主要な3つのエリア〜近世から現在までの歩み」
板橋区は、板橋など(宿場町・商業地)、常盤台など(住宅地)、志村など(工場地)、高島平など(住宅地・工場地)、赤塚など(住宅地・農地・自然林)の5つのエリアに分かれています。
今回は、3つのエリアを地理的に学び巡検を行いました。
1)板橋エリア:中山道の宿場町としての江戸時代から商店街で賑わう現在までの流れ
2)高島平エリア:荒川近くの湿地帯が演習場・水田地帯・宅地開発に変遷
3)赤塚エリア:武蔵野台地と荒川低地の谷を歩くことで地形の高低差の実感と地形を利用した城跡・農業の歴史
1.日時 2025年12月21日(日)10:00〜16:00
2.参加者 18名
3.巡検行程(🚶:歩き、🚃:電車、🚌:バス、🍱:昼食)
3-1 全行程
約16.5kmの歩行・都営三田線・路線バス(国際興業) 約6時間の移動時間、約30mの高低差(最高標高32m、最低標高2m)
巡検行程は、アプリ「スーパー地形」を用いて作成しています。
地図は、地理院地図・地形図・断面図・今昔マップを使用しています。
マウスを地図上でクリックすると地図を拡大できます。
地図左右をクリックで地図を変更できます。
(以下の地図も同様)
3-2 各行程
1) 板橋エリア
旧中山道板橋宿は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町でした。中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて1番目の宿場で、同時に川越街道(川越児玉往還)の起点でした。
①巡検スタート:都営三田線板橋宿区役所駅前
②🚶いたばし観光センターへ移動
②-1🚶板橋宿スタート:いたばし観光ボランティアによる板橋宿のガイド
📷 写真1 写真2 (「写真」をクリックすると写真が見られます。)
今回は、いたばし観光ボランティア「もてなしたい」による板橋宿の観光ガイドをお願いしました。
②-2🚶観明寺
📷 写真 (「写真」をクリックすると写真が見られます。)
室町時代の創建と伝わる真言宗寺院です。本尊の聖観音立像は12世紀頃の作と考えられています。境内には、寛文元年(1661)の庚申塔や、加賀藩下屋敷から遷されたといわれる稲荷社があります。
②-3🚶東光寺
📷 写真 (「写真」をクリックすると写真が見られます。)
室町時代の創建と伝わる浄土宗寺院です。境内には、青面金剛のみごとな彫刻がほどこされた寛文2年(1662)の庚申塔があります。また、江戸時代に中山道と川越街道の分かれ道「平尾追分」にあったと伝わる石造の地蔵菩薩座像は全高約3mです。明治時代になって板橋に移り住んだ子孫が建てた戦国時代の武将宇喜多秀家の供養塔もあります。
②-4🚶平尾追分
📷 写真 (「写真」をクリックすると写真が見られます。)
江戸期の「平尾宿」には、「中山道」と「川越街道」の分岐点「平尾追分」がありました。
②-5🚶中山道板橋宿平尾脇本陣・豊田家屋敷跡
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
板橋平尾宿の脇本陣豊田家の屋敷跡、豊田家は代々市右衛門を世襲し、名主も兼ねました。近藤勇が処刑までの間監禁され、また、江戸時代に見世物となったペルシャ産のラクダが逗留したこともあります。
②-6🚶板橋三丁目縁宿広場
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
板橋三丁目にある公園で、園内に立てられた高札板には、加賀藩下屋敷の説明やいたばし観光ボランティア「もてなしたい」が作成した、中山道六十九次の宿場紹介や区内の街角情報のパネルが掲示されています。
②-7🚶旧中山道仲宿
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
町域は江戸時代から現在にかけて旧中山道板橋宿の中心部です。
②-8🚶板五米店
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
区内仲宿に所在し、2009年に東京都教育庁が編集した『東京都の近代和風建築―東京都近代和風建築総合調査報告書―』に3次調査対象物件(最重要)として収録され、現在は仲宿商店街の空家対策事業の一環として、飲食業が営まれています。
②-9🚶遍照寺
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
創建年代は不詳で、再々の火災に遭い、1871年の廃仏毀釈の際に廃寺となっていましたが、1947年、先代の住職によって再興されました。境内は宿場時代は馬つなぎ場だったことから、馬頭観音が三基安置されています。
②-10🚶板橋宿本陣跡
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
代々新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡です。参勤交代で通行した大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休憩しました。
②-11🚶高野長英ゆかりの地
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
高野長英が脱獄後に一時潜伏した場所として知られています。幕府から追われる身となった際、この地で門人との繋がりを求めて利用した歴史的な接点です。
②-12🚶中宿脇本陣跡
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
板橋宿中宿の名主を務めた脇本陣飯田家の屋敷跡です。幕末には14代将軍家茂へ降嫁する和宮が宿泊し、また明治初年に大宮氷川神社に行幸する明治天皇が休憩しました。
②-13🚶文殊院
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
江戸時代前期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている真言宗寺院です。板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、閻魔大王、遊女の墓などがあります。
②-14🚶板橋
📷 写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
旧中山道の仲宿付近、石神井川にかかる橋です。板橋の地名の由来になったとも言われています。「延慶本平家物語」など文献にも「板橋」の名は見られ、鎌倉時代にはすでに地名にもなっていたと考えられています。花見の頃になると、石神井川の上流から下流まで、桜の花が咲き誇ります。
②-15🚶板橋宿ゴール:縁切榎
📷 写真1 写真2(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
江戸時代から板橋宿の名所として名高かったのがこの縁切榎です。「悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれる」と言われ、庶民の信仰を集めていました。
③🚶都営三田線板橋本町駅へ移動
2) 高島平エリア
荒川の氾濫原である湿地帯で、江戸時代は「徳丸が原」と呼ばれる江戸幕府の鷹狩場でした。ここに天保12(1841)年に蘭学者・砲術家の高島秋帆(たかしましゅうはん)の発案で、日本初の洋式砲術・銃弾による公開演習場が開設されました。「高島平」の地名は、高島秋帆にちなんで名付けられたものです。演習場だった当地周辺は、明治時代以降、広大な水田地帯となり、都内屈指の米所となっていました。高島平団地は1960~70年代の高度成長期に都内の人口が急増、宅地開発が急務となっているなかで整備が進められました。
④🚃都営三田線板橋本町駅〜高島平駅
⑤🍱各自にて自由昼食
⑥🚶高島平駅で集合後、33 街区で高島平の歴史・高島平団地の現状などについて説明
写真1 写真2(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
3) 赤塚エリア
武蔵野台地の北東端で、この台地上と高島平の荒川低地との標高差は30m以上あります。台地上を何本かの川が、荒川に向かって谷を形成している変化の多い地形です。昭和初期まで純農村地帯であり、台地上は、畑として雑穀類、果樹等が栽培され、江戸、東京に供給されていました。「赤塚」のいわれは、乗蓮寺近くの松月院の門前に「土跡」とか「赤塚」とか呼ばれた塚があったことによると言われて、村人はこの塚の上に、神明社と白山社を合祀し鳥居に「赤塚」と書いた額を掲げたと言われています。
⑦🚌国際興業バス 高島平〜区立美術館
⑧🚶東京大仏(乗蓮寺)見学
写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
寺の創建は1394年〜1428年の応永年間で、当時の山中村から起こり仲宿に移りました。国道17号線の拡張と首都高の建設により、1971年から7年間をかけて現在の場所に移転してきました。現在、寺のある場所は、赤塚城の二の丸の跡です。東京大仏は高さ13m・座高8mです。千葉一族と歴代の戦没者を供養するもので、合わせて自然災害が起きないようとの願いも込められています。1977年に建立、開眼されました。この寺には冒険家植村直己のお墓があり、草野心平の追悼詩碑が設けられています。
⑨🚶不動の滝付近の地形や湧水を見る
写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
崖から地下水が滲み出て、どんな日照りの年でも、枯れたことがないと言われています。江戸時代から富士・大山を初めとした霊山登拜へ出発する際の水垢離場(みずごりば)として利用されていました。かつて板橋区内では、いたるところに湧水があり、生活用水や水垢離場として利用されていましたが、その多くは消滅しました。
⑩🚶赤塚公園
⑩−1赤塚城阯
区立博物館の南側の標高35mの小山が赤塚城址です。1456年千葉自胤は千葉一族の争いに敗れ、この赤塚城に入り、豊島郡一帯を支配し武蔵千葉氏として勢力を伸ばしました。小田原の北条氏が当地に進出したのに従い、豊臣秀吉に滅ぼされるまで当地を支配し、北条氏が滅んだ1590年に赤塚城は廃城となりました。
⑩−2赤塚溜池公園
公園の池は、赤塚城址から500㍍ほど西に位置する清涼寺付近に源を置く湧水の流れと赤塚川(谷津田川)の流れの合流地点で、また赤塚城の堀の跡地でもあり水田用水としても使われました。かつてはここから先の低地に赤塚田んぼと呼ばれた田園地帯が広がっていました。
⑩−3板橋区郷土資料館
写真(「写真」をクリックすると写真が見られます。)
東京23区最初の区立博物館で、区民から文化財の寄贈などを受け、1972年開設、1990年に全面改装、2020年リニューアルされました。展示室・講義室・収蔵庫のある本館と、江戸時代の萱葺き民家などの付属施設が敷地内に配置されています。
⑪ 🚌国際興業バス 区立美術館〜成増駅北口
⑫ 巡検ゴール:東武東上線 成増駅
参加者の声
板橋区巡検全般
・個々の場所での感想は多々あるのですが、面白かったのは板橋区の地形の高低差でした。いつも赤羽を過ぎた新幹線から見ていた板橋の台地と低地の間を地下鉄やバスで上り下りして、単に一直線の崖線があるだけでなく、谷戸がいくもありその複雑さを実感することができました。
・東京の北端の板橋区の巡検大変学ぶことが多く、しばらく余韻が続いています。
・以前に板橋宿を歩きましたが、今回は、さらに長い距離を歩く機会となりました。歴史面でも学びが大きかったです。歩くに際しても、「いたばし観光ボランティア」のガイドさんの安全確保に心配る姿も印象的でした。
・武蔵野台地が多摩川の扇状地であることを知り、そのヘリである場所に谷戸があり、また高台には江戸城や川越城、或いは深大寺城があるなど、大地と水と人間の営みに興味を持っています。
・板橋宿跡を訪ねて歴史を、高島平、赤塚を歩いて現在の地形を知ることができ、大変良い巡検でした。
1)板橋エリア
・今回宿場町を「いたばし観光ボランティア」の方に、丁寧に説明頂き、残されている多くの事物を目の当たりにしながら、タイムスリップしたような気分で楽しく回れました。当時の宿場街というものを初めて立体的に俯瞰出来たことは収穫でした。
・高野長英の逃亡が絡んだり、また遭難してしまった植村直己の奥さんの実家があったり、今でも一部の女性たちに人気がある縁切り榎など、その登場人物たちの人生に想いを寄せられるような巡検でもあったと思います。
・板橋では2連の橋がありました。石神井川の蛇行が理由とのこと。明治時代の地形図では著しい蛇行が認められ三日月というより馬蹄形です。現在の道路形状にまで影響しているように見えます。
・江戸四宿は大木戸、六地蔵、投込寺(遊郭)、仕置場が地理的指標と思っていましたが諸相あるようです。板橋の木戸は小規模、中宿の文殊院に遊女の墓が伝わるものの投込寺とはいえないとの解説でした。また近藤勇が斬首されたのも刑場ではなかったようです。なお 中山道の六地蔵は巣鴨の真性寺でした。巣鴨は宿場ではなく立場(宿間が長距離のため荷と馬の中継、茶屋など休憩の機能)でした。
・宿場町らしい短冊状の地割が、今なお全体的にしっかり残っていることに驚きました。「いたばし観光ボランティア」ガイドの方の解説は、まさに「もてなしたい」お気持ちに溢れ、短時間で板橋宿を知ることができました。
・江戸四宿のうちでも内藤新宿・品川は遊興の地、千住は小塚原があるので知る機会が多かったものの、板橋のことはよく知りませんでした。巡検で地域ガイドによる案内を取り入れるのは、その地域に関する詳しい資料や古い絵図などを見ながら集中的な学習ができて大変有効だと思います。今回宿場内の街道を歩いて、立派な庚申塔や縁切榎の信仰などで賑わっていたこと、また郷土資料館の板碑も興味深く見学しました。
2)高島平エリア
・資料と説明の中で、長い歴史の中で氾濫原の湿地帯から砲術の時代へ、そして穀倉地帯から大団地へと土地利用の大胆な変化と盛衰が手に取るように分かりました。
・高島平はかつての荒川の河川敷のようなところに巨大団地があり、最近の想像を絶するような豪雨でも大丈夫か、都営地下鉄車庫の電車は大丈夫かと少々心配になってきました。この団地、最盛期に3万だった住民数が今は1.8万、この間世帯数はずっと1万のまま変わっていないので、高齢化、単身世帯化が進んでいるのが想像されます。そして築50年にもなる老朽化を迎え、タワーマンションを建て住民を移す計画があると聞きました。今後100年くらいで日本の人口は半減し、高台でも多くの空き地・空家が発生します。タワマンなど建てず、ここを河川敷に戻すのが得策だと思います。
・高島平駅で駅舎関係の建物に対して地盤にヒビが入り沈下することがわかりました。地盤災害だけでなく、降雨時の水害についても気になりました。横浜では地下街の開発と関連した地盤沈下を見ていますので、気になります。かつての水田地帯なのでと思いました。ボーリングデータで洪積台地の地質と沖積層との関係、地震動による反応の違いが出てくるのかなとか思いました。
・西高島平まで広がっている巨大建物群(巨大生活圏)がどのようになっていくか、深い関心を持ちました。
・高島平団地もタワマン計画で話題になりましたが、思った以上に大規模な団地であり、季節がらサンタクロース姿で商店やゴミ拾いをしているの人達を見るとコミュニティーが形成されているように感じました。ニュースで話題の地も実際に行ってみることで肌感覚が違いますので、そのような場所を巡検ポイントに組み込むのはとても意味があると思いました。
3)赤塚エリア
・黒光りした東京大仏には大きさに圧倒されましたが私が心を奪われたのは住職が建てた天明の飢饉の供養塔でした。多くの町人が倒れたときに幕府の対応は限定的だったようです。
・最後の郷土博物館の展示で、その日を反芻しながら学んだことを再整理出来たことも大きかったと思います。
・水環境のことでは生物の生息だけではなく、台地を削って流れる河川全体と溜池の関係などの様子もわかるように看板を立てて欲しいなと思いました。
・高低差のある地形は非常に面白く、土地の活用を興味深く見ることができました。
地理の会 ジオ巡検②
『相模・曽我丘陵〜地球の胎動を聴く雨のジオ歩き』
テーマ
ジオ歩き2回目は、相模の曽我丘陵の国府津ー松田断層を訪れ、地殻変動の歴史を学びました。箱根火山の影響や、地殻変動と火山活動、河川侵食の視点から地形・地質を考察しました。
1.日時 2025年10月25日(日)10:35-15:02
2.講師 箱根ジオパーク推進室事務局次長 笠間講師(日本地質学会理事)
参加者 8名
3.巡検行程
約9.1kmの歩行、約4時間27分の移動時間、約185mの高低差(最高標高218m、最低標高33m)
① スタート:JR御殿場線 上大井駅
②菊川支流沿い(所々に小露頭)
③山田盆地入口・地塁地溝地形
④メガソーラー保存露頭・箱根火山火砕流堆積物
⑤四季の里(昼食・足柄山地・富士山等の地形)
⑥獅子窪湧水
⑦了義寺
⑧めがね道経由、国府津・松田断層地形観察
⑨ゴール:JR御殿場線 相模金子駅
4.行程地図
上記の巡検行程をアプリ「スーパー地形」を用いて
① 地理院の現在地図
② 地形図
③ 断面図
(マウスを地図に合わせると、「地図左右中央をクリックで地図を変更できます」「地図中央でコメントを確認できます」さらにクリックすると「地図を拡大できます」)
5. 巡検写真(写真は、10秒毎の自動再生)
6.参加者の感想
・とても勉強になりましたし楽しかったです。山でよく崖など見ますが、立ち止まって観察して、教えて頂くと、ぜんぜん違うなと思いました。資料を見返して思い出しています。
・ややハードなコースでしたが、脱落することなく最後まで楽しく回ることができました。以下、感想です。事前に資料を一読していましたので、各所での講師の説明が理解しやすかったです。参加者からのさまざまな質問への回答が、実に深く広く分かりやすい内容でした。
・当日の説明もすばらしく、充実した巡検になりました。雨は残念でしたが、静かで落ち着いたジオウォークになりました。箱根東京テフラの保存露頭など立派なものと思いますが、箱根ジオパークのジオサイトに指定されていないのが不思議です。
・地質にはまったく素人の私にも、とてもわかりやすく説明していただき、良かったです。貴重な露頭の数々、何十万年も遡ってのお話し、素朴にイメージを楽しみました。学者の先生によくありがちな「この露頭を残さねばならない!」との気負いはなく、変動していく自然に素直に応じられてる好印象を受けました。
・曽我丘陵ジオ歩き、雨天で眺望を楽しむことができなかったのは残念でしたが、実行していただいたことに感謝申し上げます。地溝・地塁の地形と意識して、盆地地形を見るのは初めてでした。「きらめきの丘おおい」の箱根東京テフラの地層の傾きや火山噴火のジェットによる噴煙の到達高度など、教えていただいたことを自分なりに調べて整理していきたいと思っております。
・地形、地質の歴史的経過など、不勉強ですが 、大変関心があります。お話の内容は難しかったですが、プレートの動き、断層、火山活動など、地域別、時代別にどのような動きがあったのか、今後とも関心を持ち続けていきたいと思う大きなきっかけとなった御案内でした。保存断層や湧水なども大変魅力的かつ貴重なものと思いました。目に見える風景もこうした知識があると違って見えるものではないかと羨ましくも思います。
オンライン交流会「サロン地理」
1. 日時:2025年8月9日(土)18:00〜20:00
2. 開催方法:Zoomミーテイングを使用したオンライン
3. 出席者:25名
4. 内容:
気兼ねなく自由で身近な地理の話題をサロン風に語りあうオンライン会合を行いました。
(スライド:手動でスライドを送るか⚪︎をクリックして閲覧してください。また、画像をクリックすると画像を拡大または動画再生します。
ハイライト:文字のハイライト部をクリックするとリンク先を表示します。)
1 地方会員からの地理の話題
1-1「哈爾濱(ハルビン)とシベリア鉄道」
今年の6月に中華人民共和国の旧満洲地方に旅行したのですが、それに関連してお話しいたします。
1-2「 仙台赴任 地理の思い出」
私の仙台の赴任時の地理の思い出ということでお話しいたします。
テーマ1:この地名読めますか?かけますか?私が仙台に赴任遭遇した地名
こういう形で読めない地名に遭遇しました。
テーマ2:JR気仙沼線BRTの写真と動画
仙台は、まだまだ行けていないところがありましたが、ほんとにいいところですので是非足を運んでください。
ご精聽ありがとうございました!
1-3「私の地理修行 ー 「ご縁」に支えられて」
「地理というご縁に支えられて」ということでお話しさせていただきたいと思います。
(1)月刊「地理」との出会い
現在も、購読会員ですが、月刊「地理」の「ジオグラファーズ・アイ」(投稿欄)で作文練習目的に投稿したのが、最初の地理との出会いでした。
(2)福井県地理学会との出会い
福井県に帰省しまして、図書館に就職しました。月刊「地理」への投稿が切掛になって、当時の図書館館長の紹介と福井県内教員の図書館訪問による入会斡旋で、福井県地理学会に入会しました。現在は、「北陸三県地学・地理学連合大会」に参加及び紀要執筆を行っています。
(3)社会人の地理クラブ「地理の会」との出会い・会報
出会いというものは、突然なのですが、本会の「地理の会」の会長と職場の図書館でお会いしてお話をしまして入会しました。会報執筆ほか巡検・例会に参加しました。しかし、会報の最終号は、書くことができなかったのが心残りです。日本地理学会「地理学のアウトリサーチ」動画作成依頼を「地理の会」の会員の方から紹介を受けて作成しました。(地理の会HPの会員活動のYouTube公開を参照)最近は自己紹介代わりに使っています。「地理学は楽しいのだよ」っていうことを中高生向けで、また、丁度、コロナ禍の時で「勉強の楽しさというのを教えてください」ということで動画を作った次第です。
(4)福井市木田公民館(在住地区)での活動
現在、私住んでいる春日は福井市南部の木田という小学校区・公民館地区に該当します。木田公民館の館長が、以前の上司で、公民館に行くと、仕事を仰せつかって、結局、交流部会での地区の歴史遺産紹介(フィールドワーク形式・PTA親子のつどい)などを行なっています。さらに、広報部会の全戸配布『きだより』の「木田の昔ばなし」執筆(年2回)も行なっています。
木田の昔ばなしの紹介として(おいしい福井の水の産地 木田地区の水道源井)を説明しました。
また、『木田地区誌』編纂を只今、構想中です。(「地理編」を頼まれています。)
以上が、私の現在でございます。また今後も末長く、どこまで地理の活動ができるか分かりませんけど、よろしくお願いいたします。
2 コーヒー・ブレーク
2024年地理の会活動クイズ
3 自由で身近な地理の話題
1-1「利根川東遷について」
かつて利根川は東京(江戸)湾に流れていましたが、現在では東に向きを変え鹿島灘(銚子)に河口を移しています。東に付け替えたので「東遷」と言われていますが、「そもそも誰かが意図して始めたことだったのだろうか?」疑問に思いましたので調べてみました。利根川東遷の経緯については数多くの著書、論文が発表されていて、それらから知見を一つ得たので報告します。
以上、まとめると
利根川東遷は徳川幕府により1594年から60年かけて行われたとの説が有力だが(現国土交通省も採用)、異説があることが紹介された。その異説とは、「東遷」を決定づけたのは明治政府による工事(1893年にかけての江戸川棒出しの強化)で、理由は足尾銅山からの汚染水が東京府に流れるのを恐れたためである。公言がはばかられたので、徳川幕府説を創作した。(参考文献:東京農業大学 小出博教授「利根川と淀川」1975年1月中公新書、他)私も、当初から一貫した目的・計画のもとに行われたものではなく、その時代の社会状況または技術水準に従い、試行錯誤しながら進められ、「結果的に現在の水路となったと考えている」とする説に従いたいと思っております。
1-2「シルクロードの旅、トルコ・ギリシャ・北マケドニア・アルバニア編(バルカン紀行報告)」
シルクロードをたどる旅のトルコ、ギリシャ、北マケドニア、アルバニア編ということでお話しします。
以上で終わります。ありがとうございました。
4 2025年活動報告と予定
5 質疑応答・雑談タイム
桐生市巡検
1.日程 2025年6月8日(日)11:00
2.テーマ 織物の街『織都「桐生」』の成り立ちと現在~ノスタルジックな街並みを巡る
3.コース
① 東武新桐生駅またはJR桐生駅から「観光情報センター(シルクル)」へ。11:00集合
② 観光情報センター(シルクル)11:00発(現地ガイドにより重伝建・新町地区等巡検)~桐生天満宮12:30頃到着
③ 桐生天満宮近くの「世辻の斎嘉」(旧織物工場の母屋)2階にて昼食
④ 昼食後、地理の会からの説明と、店主からの説明
⑤ 解散(電動コミュニティバス「MAYU」で市内移動又はコミュニティバスで桐生駅・新桐生駅等へ)
⑥ 上記以降は個人巡検(後半は各自でテーマを見つけて歩いてください)
a)繊維産業を学ぶ → 織物参考館、桐生織物記念館などを徒歩巡検
b)建築物を学ぶ → 桐生倶楽部、上毛電鉄西桐生駅、群馬大学同窓記念会館など
c)美術を楽しむ → 大川美術館(松本俊介のコレクションで有名な美術館)
d)伊勢崎に行く → 伊勢崎市に足を延ばし自主巡検
(JR両毛線で伊勢崎駅:いせさき明治館・相川考古館など市街地巡検、または境町の繭取引、町家、宿場遺構歩き)
e)ローカル鉄道を楽しむ → 西桐生駅から上毛電鉄で前橋方面へ、桐生駅からわたらせ渓谷鉄道で足尾方面へ
4. 巡検写真(写真は、10秒毎の自動再生です。)
5.桐生市のプロフィール
・奈良時代から始まったと言われる桐生の絹織物は、江戸時代以降「西の西陣、東の桐生」と称され、その一大産地として発展しました。
・今回巡る「新町地区」は、慶長年間(1600年代初頭)に周辺農村からの移住者を募って形成された人工都市で、市の中心街となっていました。
最盛時900を越えた織物産業の事業者数(組合登録事業者数)も今は100を切っていますが、街のそこかしこに長い繁栄を伝える工場や蔵、事務所などの建築物が残っており、近代化遺産の宝庫として、今では観光スポットとなっています。とりわけ、「新町地区」には、織物工場、織物問屋、商店、銭湯、醸造所など多くの有形文化財が残っています。
・桐生市の人口は減少傾向にあり、昨年10万人を割り、群馬県内では5番目ですが、高崎、前橋に次ぐ都市の位置づけにある太田(3位・22万人)、伊勢崎(4位・21万人)との差が開いています。
輸送用産業や機械・金属産業を中心にした順調な産業立地によって発展した両市に対して、桐生は歴史文化遺産を核とした観光を軸とした街づくりをめざして進んでいるように思われます。
・足尾山塊の山々に囲まれ、平野への出口に当たる桐生は渡良瀬川と桐生川が流れる水と緑に恵まれた渓口集落(谷口集落)であり、地理的関心の高まる街です。東武鉄道(新桐生駅)、JR両毛線・わたらせ渓谷鉄道(桐生駅)、上毛電鉄(西桐生駅)と様々な鉄道が交差する街でもあります。
*桐生巡検補足説明*(クリックすると資料が見れます。)
地理の会巡検23区シリーズ第20回「世田谷区その1」
テーマ
「近郊農村から住宅市街地へー土地利用の変遷と現況」
世田谷区の地域は、江戸時代には近郊農村地帯でしたが、今日では人口94万人を超える(2025年都推計)住宅都市に発展しています。今回の巡検では、戦国時代末期まで存在していた城阯、江戸時代の代官屋敷跡や大山道など古道の歴史遺構、昭和に開かれた馬事公苑・東京農業大学キャンパス、かつて農業用水として利用され現在では暗渠化され緑道・一般道として整備された烏山川と品川用水跡地、関東大震災後に移転してきた烏山寺院通りを訪れました。区のほぼ中央部である世田谷地区から北部の烏山地区までを辿ったことになります。
1. 日時 2025年4月20日(日)13:10-17:35
2. 参加者 11名
3. 巡検行程(🚶:歩き、🚃:電車、🚌バス)
3-1 全行程
巡検行程は、アプリ「スーパー地形」を用いて作成しています。
マウスを地図中央に合わせて 「コメントを確認できます。」
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3-2 各行程
1)大山道(旧道)沿道歴史遺構エリア
① スタート:東急世田谷線三軒茶屋駅前(13:10)
📷 東急世田谷線三軒茶屋駅前(クリックすると写真が見れます。)
② 🚃東急世田谷線三軒茶屋駅乗車(13:12)
前身の玉川電気鉄道が、1925年(大正14年)、三軒茶屋〜下高井戸を開通。(今年、開通100周年)
路面電車であるが、ほぼ全区間が専用軌道。ただし環状7号線との交差点では道路信号に従う。
③ 🚃東急世田谷線上町駅下車
📷 東急世田谷線上町駅下車(クリックすると写真が見れます。)
④ 🚶烏山川緑道
源流の一つは、北烏山にある高源院の弁財天の池で、玉川上水からの通水も存在していた。この下流、池尻付近で北沢川用水(地表は緑道化)と合流し国道246号をくぐると目黒川(開渠)となる。
📷 烏山川緑道(クリックすると写真が見れます。)
⑤ 🚶世田谷城阯公園
世田谷城は、吉良氏によって築かれた。戦国時代、豊臣秀吉の小田原征伐により接収され廃城となった。土塁が残るのみであり、区立公園となっている。
📷 世田谷城阯公園(クリックすると写真が見れます。)
⑥ 🚶ボロ市通り(旧大山街道の一部)
市は北条氏の時代に「楽市」として開かれたが、明治になって古着やボロ布の扱いが主流となっていき、「ボロ市」と呼ばれるようになった。現在は12月と1月に開催され骨董品なども並ぶ。
⑦ 🚶世田谷代官屋敷(母屋と表門は国重要文化財)
📷 世田谷代官屋敷(クリックすると写真が見れます。)
18世紀半ば近く、世田谷村名主の大場家第7代当主盛政によって建てられ、同氏が彦根藩世田谷領代官に登用されると私邸かつ公務を行う場となり、大場代官屋敷とも呼ばれる。母屋と表門は江戸時代中期の代表的な大型民家の姿を残し、代官にふさわしい格式をもった建造物である。
⑧ 🚶世田谷区郷土資料館
1964年(昭和39年)開館。歴史的遺物や資料が収集展示され、古地図などの販売も行われている。
⑨ 🚌東急バス(渋22/23/24)桜小学校乗車(14:15)
2) 公苑/大学キャンパス・用水跡エリア
⑩ 🚌東急バス農大前下車
⑪ 🚶品川用水跡(北見橋跡)
📷 北見橋跡石碑(クリックすると写真が見れます。)
玉川上水から取水され、現在の品川区地域などに農業用水を供給していた。昭和20年代後半に埋め立てられ、その後、現在の千歳通りが整備された。馬事公苑の東縁も用水跡である。
⑫ 🚶馬事公苑
📷 馬事公苑(クリックすると写真が見れます。)
1940年(昭和15年)、騎手養成・馬事普及・馬術振興のために開苑した。東京オリンピックの馬術競技場となる予定であったが大会が中止され、その後、1964年、2020年(翌年に延期)大会では競技会場となった。競技場や厩舎のほか、芝生の広場や雑木林もあり散策できる。
⑬ 🚶東京農業大学
📷 東京農業大学キャンパス(クリックすると写真が見れます。)
1891年(明治24年)創設。旧陸軍自動車学校の跡地である世田谷キャンパスには1946年(昭和21年)に青山から移転してきた。➡「国際センター」があり巡検一行はここで休憩をとった。
⑭ 🚶横根の庚申塔道標
📷 庚申塔道標(クリックすると写真が見れます。)
江戸と多摩地方を結ぶ旧道「六郷田無道」に立つ。正面に府中道、南側面には大山街道へ、北側面には四ツ谷道への案内文字が刻まれている。数百メートル北側に並行する道路があり、近くで分岐・合流する。旧東京府道「駒沢吉祥寺線」の一部と考えられる。
⑮ 🚶経堂農大通り商店街・経堂在家村庚申塔道標
📷 経堂村庚申塔道標(クリックすると写真が見れます。)
商店街の南端で再び烏山川(緑道)を渡る。庚申塔は農大通りと古道(滝坂道?)との交差点に立つ。東方向は「青山」、西方向は「府中」、正面の南方向は「二子」(多摩川の渡し箇所)を示す。上記の写真📷を参照。
⑯ 🚃小田急線経堂駅乗車(15:33)
⑰ 🚃小田急線千歳船橋駅下車
📷 森繁通り(クリックすると写真が見れます。)
⑱ 🚌京王バス(歳23)千歳船橋駅乗車(15:50)
3) 関東大震災後の寺院移転エリア
⑲ 🚌京王バス千歳烏山駅下車
⑳ 🚌関東バス(烏01)千歳烏山駅乗車(16:24)
📷 旧甲州街道(クリックすると写真が見れます。)
㉑ 🚌関東バス寺院通四番下車
㉒ 🚶烏山寺院通り(高源院)
📷 高源院・高源院(池)・烏山寺院通り(クリックすると写真が見れます。)
北烏山2丁目から6丁目にかけて、関東大震災(1923年・大正12年)の後、東京市の都市計画により東部(上野・浅草方面)から移転してきた26の寺院が立ち並ぶ。高源院の庭園にある池は湧水で烏山川の水源の一つと言われている。
㉓ 🚶玉川上水分水口跡 ⇒ (所在地:杉並区久我山)
📷 玉川上水・玉川上水分水口跡(クリックすると写真が見れます。)
玉川上水岩崎橋に烏山村分水・上北沢村分水の取水口があった。遺構は残るが判別し難い。
㉔ 🚌関東バス(烏01)久我山病院乗車(17:28)
㉕ ゴール:🚌関東バス千歳烏山駅下車(17:35)