活動報告

 

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2021.11.27

「地理の会」23区巡検シリーズ「豊島区 PART1(大塚・巣鴨地区)」
日時:2021年11月27日(土)13:00〜16:00
参加人数:8名
案内人:としま案内人駒込・巣鴨(クリックするとリンクします。)
 
1.テーマ
豊島区観光ボランティアガイド「としま案内人駒込・巣鴨」に案内をお願いし、2班に分かれて、かつては池袋より繁華であった大塚周辺から「とげぬき地蔵」で有名な巣鴨までを見て歩きました。
 
2.巡検行程
JR大塚駅→① 星野リゾートとのれん街→② 大塚天祖神社→③ イスラム教モスク「マスジド大塚」→④ 巣鴨教会→⑤ 丸山ちよ記念碑→⑥ 大塚三業地→⑦ 啓成会(義肢装具製造・技術者養成)→⑧ 巣鴨公園(廃兵院碑)→⑨ 高岩寺(とげぬき地蔵)→⑩ 森田商店→解散
 
3.行程地図(画像をクリックすると拡大表示します。)

 
4.巡検写真
「カラフル」「ユニーク」をコンセプトとした大塚の街活性化プロジェクト「ironowa ba project」によりホテルやのれん街を誘致

 
天祖神社は巣鴨村総鎮守として信仰を集めてきた。境内の銀杏は空襲で燃えたがその後息を吹き返したという。

 
イスラム教モスク「マスジド大塚」では、食品を子ども食堂などに届けるフードドライブや炊き出しなどを行っている。モスク前で作業していた学生から活動内容やハラール食品について話を聞いた。

 
巣鴨教会にはかつて身寄りのない子どもの施設「自営館」があり、山田耕筰もここで印刷工をしながら暮らしていた。

 
私財を投じて託児所や労働者夜間学校を経営、またろうあ者教育にも尽くした丸山千代

 
かつてここには50か所ほどの牧場があった。東福寺には疫牛供養塔がある。

 
大正13年に三業地(芸妓屋・待合・料理店)となり、花街として昭和30年代まで栄えた。今も風情のある料亭の建物が残り、看板や電柱にも三業の文字を留めている。

 
日露戦争による戦傷軍人のための療養所「廃兵院」跡の碑には「護れ傷兵 忘るな武勲」と刻まれている。また、戦傷者の教育・義肢装具の製作から始まった啓成会では、義肢装具科を備えた高等職業技術専門校も設立。平日であれば、義肢等の展示も見られるという。

 
としま案内人によるガイドは高岩寺で終了。最後に当会メンバーの森田商店を訪問し、珍しい縄ばしご製造に関する話を伺って解散。
 

2021.12.12
 
「地理の会」巡検23区シリーズ 「豊島区 PART2(長崎・千川地区)」
日時:2021年12月12日(日)13:30 〜16:20
参加者:13名
案内人:としま案内人長崎町(クリックするとリンクします。)
 
1.テーマ
全体を2班にわけて、案内人組合のガイドさんについて東長崎駅を出発。途中にあった五郎久保神社、岩崎家住宅、籾山牧場跡などに説明を加えてもらいながら、目白街道を歩いて千川上水跡にアクセスし、最後に千川上水の分水と合流する谷端川の水源の栗島神社に到着しました。
 
2.巡検行程  
①スタート:西武池袋線「東長崎駅」→②五郎久保稲荷神社→③岩崎家住宅→④清戸道(目白街道)→⑤籾山牧場跡→⑥水番所跡→⑦千川通り(起点)→⑧西原不動尊→⑨庚申塔(道標兼)→⑩築樋跡(明豊中前)→⑪庚申塔→⑫千川親水公園→⑬ゴール:粟島神社
 
3.   行程地図・案内図(画像をクリックすると拡大表示します。)
歩行距離:3.8km 歩行時間:2時間50分  高低差:4m

 (地図は、歩行GPS記録を基にiOSアプリ「スーパー地形」の国土地理院地図を用いて表示)

(西武池袋線「東長崎駅」改札口近くの案内図)

 
4.巡検写真
① 東長崎駅:東長崎駅を出発。トキワ荘が近いと言うことで駅前の交番はトキワ荘と同じスタイルで建てられ、2階の改札口近くには、ジャングル大帝のモニュメントがありました。
 

② 五郎久保稲荷神社:全国でも珍しい北向きの神社です。
 

③ 岩崎家住宅:江戸時代末に建造され、1918年(大正8年)に解体されましたがその後、当時と同じ様式で再建されました。巨大な邸宅で肥料や糠(ぬか)を商っていた豪商の家でした。清戸道を往来した馬車の馬をつなぐ杭なども見ることができました。

④ 清戸道(目白街道):「豊島」の地は、武蔵野台地の東部に位置し、明治期までは自然に恵まれた農村地帯であって、「清戸道(目白街道)」(文京区江戸川橋~清瀬市清戸)などを通じて練馬大根などの野菜を江戸の市場へ出荷していました。大根は練馬が有名だが、本来はこの長崎が発祥の地だとのことです。(その後練馬の大根が“ブランド化”して練馬の方が有名になった。(案内人談))
 
⑤ 籾山(もみやま)牧場跡:明治〜大正時代は約1万坪の牧場でした。1947年(昭和22年)〜1994年(平成6年)まで、明治乳業豊島工場がありました。
 
⑥ 水番所跡:下記、補足説明を参照。
 
⑦ 千川通り(起点):豊島区南長崎6丁目を起点「0」とし、練馬区上石神井1丁目に至る通りです。(都道439号)

⑧ 西原不動尊:建立されたのは、1816年で、並び立つ三尊像で一つの岩から掘り出されています。
 

⑨ 庚申塔(道標兼):造立年は1774年で駒型で、右側面には「右 いたはし道」とあり年紀が記されていました。一方の左側には「武刕豊嶋郡長崎村」とあり道標を兼ねています。

⑩ 築樋(つきどい):下記、補足説明を参照。
 
⑪ 庚申塔:かつては千川親水公園の始点の庚申橋跡にありましたが、区画整備のために撤去され、もともと5基あった庚申塔のうち1基は行方不明になり、現在の場所に移設され4基となりました。

⑫ 千川親水公園:上水の堤には多くの桜があり花見の名所として有名でしたが、都市化の進行で水路は暗渠化され、桜のほとんどが伐採されました。
 

⑬ 粟島(あわしま)神社:要町3丁目あたりで千川上水から分水した「長崎分水」跡をたどると、最後は粟島神社に到着しました。ここで分水は神社の弁天池に流入します。一方でこの神社の湧水は、谷端川の源頭となっています。
 

 
5.補足説明
5-1  千川上水と分水跡
「千川上水」は江戸の6上水のひとつで玉川上水を水源とする約 22 ㎞の用水路(上水)です。武蔵野台地の尾根の高低差を利用する人工的な水路のため効率的に水を流す工夫がされました。また、千川上水の豊かな水路からの分水跡も訪れました。(下記画像をクリックすると拡大表示します。)
(地図は、iOSアプリ「スーパー地形」の「今昔マップ(1896年−1909年)」を用いて千川上水と分水路をトレースした後、「スーパー地形データ+地図」で表示)

⑥ 水番所跡:今回はその最下流 1/4 の地点にある同上水の屈曲点「長崎村水番所」を訪れました。水番所のあった場所は、南長崎5丁目の直角屈曲点で、きれいな R をつけて曲げられています。千川上水は 2/1000という緩い勾配を尾根の高みを拾ってたくみに構築されていました。このR もスムーズな水流の確保のための設計上の工夫と思われます。地図で見ると、中心上部に谷がありこの谷を避けるために水路が直角に曲がっていることがわかります。ちなみにここは千川上水全長 22 ㎞のうち玉川上水の境橋取水口から約2/3 を流下した地点です。写真の左に見える場所が水番所があった場所です。水番所とは水路や堰を管理をするために設置された江戸幕府の役所のことで、上水道の取り締まり、水路・堰堤等の修理改築などを管掌していました。場所は現在はコンビニになっており、江戸時代には良質な飲み水の確保のため管理をしていた場所が、平成の世ではミネラルウォーターなどの飲料を供給する場所となっています。

⑩ 築樋(つきどい):上水が通るべきルート上の地形の“たわみ”の部分に土を盛って水が流れるようにした跡なども観ることができました。上水のコース取りは尾根筋を縫うようにするのが基本ですが、どうしても谷筋を越えなければならないとき、比較的谷筋が浅い場合はこの築樋になったとのことです。地図で見ると、千川上水の左上部から谷筋が伸びていることがことがわかります。

 
5-2 文化・産業発祥地
今回、実際には訪れなかったのですが、千川上水と分水界隈での文化・産業発祥地について案内人よりお話があり、興味深かったのでご紹介します。
 
i トキワ荘
第二次大戦後に著名な漫画家が集まり居住していたことで知られ、漫画の聖地と呼ばれました。建物は1952年(昭和27年)に完成し、翌年に学童社の紹介で手塚治虫が入居し、その後多くの若手の漫画家が入居しました。建物は、老朽化により1982年(昭和57年)に解体されました。
 
ii 快進社「DATSUN」
日本初の国産自動車メーカーで、ブランド名は「DATSUN」、日産自動車およびいすゞ自動車の前身です。1911年(明治44年)に渋谷町広尾で開業、1914年(大正3年)に東長崎駅の北西側(現在の東急ストア辺り)に移転しました。
 
iii 池袋モンパルナス
大正の終わりから第二次大戦の終戦頃まで豊島区の谷端川の周辺でアトリエ村が存在し、芸術家が多く暮らし活動の拠点にしていました。
 
 


2021.9.12
 
ウェブ開催「サロン地理」
 
日時:9月12日(日)14:00~15:30
開催方法:Webexミーティングを使用したオンライン発表・懇談会
参加者:22名
内容:
今回は気兼ねなく自由に身近な地理の話題をサロン風に語りあうオンライン会合を設定しました。4人の方に以下の内容で話題を提供して頂きました。
 
1  立川飛行場引込線跡を歩く
自宅近くで犬の散歩に利用している立川飛行場引込線跡地を歴史・地図変遷で解説後、実際に引込線跡地を始点から終点(約4km)を歩き、ポイントで写真を撮って現在の状況を説明されました。
 
2 三鷹市内の住宅地を歩く
普段歩き慣れている「中川遊歩道」や樹林の道歩きで市街地近くに草花や木立・竹林も見ることができるとの報告がありました。世田谷区に通じる道の地理を感じ取り、季節感に包まれて心が癒されます。
 
3 粟又ノ滝
千葉県の養老渓谷にある房総一を誇る名瀑布で紅葉の名所の粟又ノ滝の成立ちと特徴を地学的に説明されました。
 
4 神奈川宿の歴史の道を歩く
江戸時代の幕末の東海道の神奈川宿周辺は、現在の横浜エリアとは全く景観が異なっていました。現在の権現山城22mの高さも、かつては権現山と呼ばれて124mでした。また横浜の中心も海辺でした。その権現山の山頂を削って造られた台場と鉄道建設を通して変わりゆく景観についてもコメントされました。
 
続いて、これらの話題について参加者から質問が出されたり、互いに語り合うミーティングとしました。
最後に次回の予定についての案内がありました。
 


2021.6.20
 
新しい企画「ソロ巡検プラス」による現地歩きと見聞のシェア 
 
日時:6月20日(日)15:00~17:00
開催方法:Webexミーティングを使用したオンライン発表会
参加者:25名
内容:
1 ソロ巡検者からの見聞発表会
「ソロ巡検プラス」(荻窪エリアの巡検コース)では、まず5月から6月にかけて自由に各人に歩いてもらった後、参加された方、8名に巡検見聞記をお話ししていただきました。
 
主な発言をピックアップします。
・駅前商店街を外れた川沿いにインフラ系の店(米屋、電気屋など)のある商店街があるのがおもしろい。
・大田黒公園周辺の旧字名「高野谷戸」など谷戸地名が面白い。
・関東大震災をきっかけに都心部から移転してきた被災者の数の多さと、これをきっかけとした東京西部の住宅地化という歴史的な重要性に気づいた。
・以前荻窪に居住していたが、それから20年経って3軒あった銭湯が0になった。通学していた学校の郷土資料室がなくなってしまった(移転)。
・高齢者施設が多くなっている。
・街に緑が豊か(公園、住宅)で、かつ空が広い。
・整然とした道路がある一方で、せまい道や屈曲した道も多い。交通に支障があるが、逆に住む人にとっては安心感、住みやすさなのかもしれない。
・1962年に開通した地下鉄丸の内線(旧荻窪線)の掘削残土が荻窪団地の基礎や低地・池などの埋め立てに使われたという場所が多い。
・駅北側と南側の後背地の違いによって商店街の発達に差が出ているといった印象を受けた。
・台地と低地の違い、土地利用形態の差などが歩きながら観察でき、よくわかった。
・練馬と杉並の景観的近似性を感じた。
・都市住宅地であるが、巡検中に公園などでヘビを見たという報告2件。
・善福寺川沿岸の防災上の心配(水害)を感じる。
・公園にトイレが多いことに気づく。
 

2 全体コースのオンライン巡検

 

荻窪駅→① 長屋門→②西郊ロッヂング →③中央図書館と読書の森 →④オーロラの碑 →⑤太田黒公園 →⑥角川庭園 →⑦荻外荘 →⑧シャレール荻窪(旧荻窪団地) →⑨善福寺川 →⑩松渓公園 →⑪ 中道寺→⑫与謝野公園→⑬中央線下→⑭光明院→⑮白山神社→⑯杉並公会堂→⑰東京衛生病院・教会→⑱清水の湧水→⑲井伏鱒二旧居付近→⑳太宰治「碧雲荘あと」(ウェルファーム杉並)→㉑郷土博物館分館(弁天池)→㉒教会通り入口と青梅街道→荻窪駅
 
パワーポイントに編集した写真、地図などを使っての説明による「オンライン巡検」を行いました。発表に用いた資料をリンク(HP用 地理の会 荻窪エリア・オンライン巡検スライド.pdf)します。


3 巡検を通じての書簡・意見交換会
予定の時間になってしまいましたので、ゆっくりした時間はとれませんでしたが、感想や意見が交わされました。
 

4 次回行事の案内

オンラインでのメンバー交流会を開催する旨、紹介がありました。時期は8月から9月初めの予定です。
 


2021.4.24
 
地理の会リモート発表会
 
日時:4月24日(土)14:00~16:00
開催方法:Webexミーティングを使用したオンライン発表会(発表者2名)
参加者:27名
内容:
発表者1  テーマ「地図の旅、旅の地図」
①発表者が会長を務める「地図の旅愛好会」の活動紹介
②1/50000でたどる 福岡、佐賀の古代官道について
③国内、海外の地形図や地図に関するさまざまな便利なwebサイトについて
④川崎市宮前区の歴史地理、歴史文化調査委員会の活動について

短時間に多方面の活動の最新情報をお話しいただきました。
特に、②のwebサイト紹介では、宮崎県のポータルサイトや立命館大学のサイト、海外の大学の地図サイトなど充実した内容のサイトが無料で活用できることがわかりました。
日本でも旧版地形図が簡単にwebから入手できるような仕組みが早くできないものかと改めて感じました。


発表者2  テーマ『自然災害と大移住』について
『自然災害と大移住 ―前代未聞の防災プラン』(幻冬舎ルネサンス新書)著者である発表者による大胆な提案を詳しく伺うことができました。そして、著書に書ききれなかった著者の思いも改めて感じることができました。
自然災害から街と人を守るためには長期的で大きなデザインが必要であり、責任ある人々は嫌なことも提案し、住民に前向きに協力してもらうことが必要です。防災だけではなく、現在進行形の少子高齢化問題や空き家問題、そして 自治体のあり方までを包含した、考えさせられる発表でした。
      
次回行事の予告  担当幹事から、5月~6月に実施の「ソロ巡検プラス」の説明と参加者募集がありました。
 


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